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ナミダ [記憶のトビラ]

不思議なほど今、目が赤い。
白目部分が真っ赤。
数日前から目の奥が光を感じると少し痛い。

高一のときのことを思い出した。
吹奏楽部に入部して、はじめてのアンサンブルコンクール予選の朝。
朝起きた時から、目が真っ赤だった。

母に「あんた・・それどうしたの?」と言われ、気がついた。
ただ、痛みも何もなく赤いだけ。

時間がたてば治るだろうと思っていたけれど治らなかった。
会場について会う人ごとに「わ・・!どうしたのー?!」と訊ねられる。
口の悪い友だちに至っては「うわ、めちゃ気色悪いわー」と言った。
そんなに気色悪いなら見なきゃいいのに、気になるらしく、目をのぞき込むわ、
10分置きに一度位わざわざ赤さ加減を確認しに来るわ・・。

いよいよ、舞台に上って、アンサンブルの予選。
あまりの激しい緊張でかえってスローモーションにそのときのことを覚えている。

最初の一音がそろって出なかったことで、かえって我に返り、奮い立ち
後半は何とかなった。
舞台袖に引っ込んだ途端、あまりの緊張からの解放でぶるぶる震えだし、
震えが止まらないだけでなく、涙が次から次へあふれだしてきた。
声も出ず、ただ涙がボロボロ・・出るだけ。

覚えているのは、そのときの顔や目に帯びた熱っぽさ。
じんじん痺れるような感覚。
悲しいわけではない、
普通の涙とはまったく種類のちがう涙だった。

不思議なことに、終わって駆け寄ってきてくれた友だちが
「あれー目なおってる」と言ったこと。
あんなに真っ赤で、もう二度とわたしの白目は白くならないだろう、いや元々赤かったのかも・・
というくらい赤かったのに・・。
きれいに真っ白になっていた。

何事もなかったように。

あのナミダ、
あのナミダがどんな種類の涙だったのか未だにわからないが、
今、この赤い目も、もしかしたらあのナミダを求めているのかもしれない。




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負けるが勝ち [記憶のトビラ]

自分がいちばん得意だったこと、ゆずれなかったこと、
はじめて追い抜かれる悔しさを知った12歳の時。

当時陸上部だったわたしは、走ることでは誰にも負けたことがなかった。
ほんの自分のぐるり、ちっぽけなお山でのこと・・なのに密かに天狗になっていた。
ほかに得意なこともなかったから、なおさら走ることにどこか懸けていたのだと思う。

はじめての地区予選大会決勝の日。
言うまでもなく打ちひしがれて帰宅。
家族の誰もが予想通りだと思ったはず。
わたしだけが半端なショックどころではなく、
羽をもがれたような、この世の終わりを感じていた。

しょげたわたしの顔を見て母のコトバ。
「しょせんそんなものよ。上には上がいるってこと!また次がんばればいいじゃない~」
・・さらに沈んだ。

ごはんもろくろく喉を通らず落ち込んでいたら、
父が部屋に来た。

「はじめての負けはくやしかったろう。でもよかったな、
 せっかく負けたんだから元気出しなさい」
と言った。
・・・まるで意味がわからなかった。




「こいつにはかなわんなぁ・・って思わせる友だちがいてな、
 お父さんは中学生の時、一生懸命頑張ってそいつに勉強もスポーツも勝ったと
 思ったんだけどな・・
 それでもずっと負けた気がしてならなかったんだよ」

笑いながら言った父の言葉が、今も鼓動しつづける。


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たからもの [記憶のトビラ]

たからものってなんだろう。
子どもの頃ってどういうモノを大切にしていたかな。
記憶をたどって思いつくままならべてみた。
たとえば、

・毎年クリスマスサンタクロースからもらうモンチッチ(たち)
・川原や海でひろった石や貝殻、ガラスのかけら
・神話、民話のたぐいの本、絵本
・クレヨンと画用紙
・ともだちからもらった手紙、寄せ書き、サイン帳
・きれいな缶やキャンディーの包み紙
地図
・幼稚園、小学校の名札
・ラムネから無理やり取り出したびーだま
・ゆがんだカタチのスーパーボール
・折り紙
・マウスピース
ミニカー
・日記、交換日記
・切手、シール
・お気に入りの服のハギレやボタン・・

何の脈絡もなく羅列しただけだがまだまだ出てきそう。
だが、思い起こしてみると今とさほど変わってない・・。
成長がないのか、嗜好は変わらないのか・・。

昔、母によく言われた。
「あんたはそういうところ、おばあちゃんにそっくり」
がらくたやあまりヒトの役に立ちそうにないもの、たしかに多いな。

道端でひろったものをよりどころにするかのようにずっと持っていて
ヒトにあげたり、もらったり。
物々交換はこよなく好きだ。

今、大切にしているモノ。
あちこち旅先でひろった石ころや、貝、
ともだちからの手紙やモノ。
あらゆる本。
家族の写真
祖父母、両親からもらったモノ、
そして、引き続き子どものときから持ち続けているたからもの(不思議となくしたものも多い)。

ふと、気づいた。
なにかを発見したとき、届いたとき、手にしたとき、
そのとき感じたたまらないうれしさの風景が胸に広がること。
風景がつながる。
目には見えない、自分だけのたからものの風景。

ココロの奥深くに射した光、これはずっと忘れたくない。


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保健室 [記憶のトビラ]

子どもの頃、オトナになりたくないとずっと(密かに)思っていた。
きょう、そのことを思い出した。

小学校に通いはじめてまもなくの頃、
ある三年生の女子に「血が出た」と言われ、保健室まで付き添った。
あいにく保健の先生の姿は見当たらず、職員室や心当たりをあちこち探したが
しばらく経っても保健の先生は戻ってこなかった。
早く保健の先生戻ってこないかなぁ・・内心ものすごく焦っていた。

そうしたら、その女子は「じゃあ、センセイがやってよ」と当たり前のように指を差し出した。
わたしはものすごく驚いた。
そりゃ、わたしは小学生の頃、保健室の常連で毎日のように通いつめていたほど(ケガの)。
自分の血やキズはなんてことない。
しかし他人の、しかもこんなにちいさな人のケガには弱い。

内心あたふた怖気づきながらも、腹をくくって、おそるおそる細い指に消毒し、
痛いからフーフーしてと言われ、フーフーもし、こわごわ絆創膏をまいた。
その力加減の難しいことったらなかった。
細くてふにゃふにゃとやわらかいし、力もない。

でも、わたしの指先をじっとみつめ、おわりと言った途端、ありがとう、と
当たり前のことのように(何の感慨もなく)さっときびすを返して走っていった。
ち、ちゃんとやれたのかな・・
ちいさな後姿を見送りながら、ある意味そのたくましさがうらやましかった。
コッチは(情けないことに)汗びっしょりだというのに・・。
保健の先生、担任の先生、いや、親ってすごいんだな・・
つくづくと尊敬の念を抱いた出来事だった。

いやおうなく、日に日にそういう機会は増えていった。
毎回驚くことは、ちいさな人(たち)が全身をあずけてしまえる対象に
自分がいるということ、そのことが衝撃的だった。
そうか、わたしは彼らから見たら、じゅうぶんオトナに見えるもんな・・

きょう、新三年生になった女の子が真っ青な顔をしておなかがいたいと言いに来た。
教室のドアを閉めた途端、ちいさな手でわたしの手をすぐさまにぎりしめてきた。
体重をすべてあずけるようにして。
保健室までの道、全身の重みをしっかりと感じ、受け止めながら、
しっかりしなければ・・わたしはもう大きいんだから・・と自分を奮い立たせていた。

結局保健の先生にバトンタッチし、親が迎えに来ると聞き、安心した途端、
保健室に出入りできる特権を持った彼らをやっぱりうらやましいと思ってしまった。
まったくオトナ気ない。

ちいさい人との日々から教わることは、わたしにはおおきい。


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給食 [記憶のトビラ]

いろんな場面で、ふと給食の話になることがある。
どんな給食を食べた?とか、
どんな給食のおかずが好きだった?とか。
成長するにつれ、あまりに”給食”の質がちがうことにわたしは気づき、
とても損をしたような気持ちになることがあった。

給食の記憶と言えば、
ちいさいおかずが週に2回は鯨の肉だったこと、
大きいおかずが週に3回はお味噌汁だったこと。
そして年に一度くらい、米飯給食(カレー)だったこと。
それに、大体いつも変わらず食パン2枚と牛乳とマーガリン。
要は、しょぼいという記憶しか持っていなかった。

”給食”について話されるとき、
「ソフトメン」という言葉が飛び交う。

わたしの記憶の中に、”ソフトメン”なんていう洒落たものが出された記憶はまったくないので
”ソフトメン”をこうして袋の中の状態であっためたとか、
ソフトメンなんてもう飽きちゃうくらい食べた~なんて話している人と知り合うたび、
敏感な反応で、なに?!そのソフトメンって・・あぁ、いいなあ・・と想像をめぐらしては
ソフトメンを食べた人たちを心底うらやましがっていた。
きっと、わたしの年代より後に開発されたおいしいものなんだろう、と。

ところが、実家であるものを発見してしまった。
そこには、”一年間の成長の記録”として、先生に自分の感想を述べるものがあった。


おそらく小学校一年生のときのものだと思われる。
そこには紛れもなくわたしの書いた文字があった。
しかも、”ソフトメンをいつもどうしても残す”。
ソフトメンをちゃんと体験しているではないか。
しかも”いつも”ということは何度も・・。
”どうしても”なんて意志的な気配すら感じられる・・。

見つけたとたん、ぐらぐらした。
他人よりちょっと記憶力に自信があるなんて、もう言えない。


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魔法のパンケーキ [記憶のトビラ]

ひさしぶりに夫がパンケーキを焼いてくれた。
(市販のホットケーキミックスと牛乳と卵を混ぜ合わせてただ焼くだけ)

料理はほぼ何もできない夫だが、ホットケーキに関しては
どれだけがんばっても、わたしは夫のようには作れない。

たとえば、
「ちびくろさんぼ」の絵本の中で、たちまち想像力をかきたてられ、
こども心に胸をふくらませ、夢をみてしまうほど食べたくなったホットケーキが、
絵本からそのまま飛び出してきたような感じ。

どんなに元気をなくしていても、ふわふわこんがりきつねいろのホットケーキが
目の前に出てくると、わたしはたちまち元気になり、やさしいキモチになれる。

週末、急にわがままを言いたくなり、リクエストした。
夜中というのに、いやなカオひとつせず買い物に行き、たっぷりと作ってくれた。

そのなつかしい味は、胸いっぱいにひろがって、ココロを満タンにしてくれた。




(白梅の中央にうぐいす)


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迷子になる [記憶のトビラ]

思えば、よく”まいご”になる子どもだった。
しかも、すすんで。

母と兄とおつかいに行ってはちょろちょろ動き回り、母と兄を見失いまいご、
父とパチンコ屋へ行ってはあちこち動きまわり、仕舞いにまいご、
ちんどん屋さんが来てはしゃいで隣町まで着いていき、帰れなくなってまいご、

母に「ここで待ってなさい。五分で戻って来るからね」と念を押されても、
一秒でも時間を過ぎるとあわてて探しに行き、ぐるぐるまいご・・。

わたしはめったに泣かない子どもだったから、
「まいごのよびだしおねがいします」と、自分から案内のところへ言いに行く。
そして、ほとほとあきれ顔した母が小走りで迎えに来る。
・・・(「また・・」)という顔をして。
それでも、母が、ちゃんとわたしを迎えに来てくれることがうれしかった。

なんでだろう?
捨てられる、とでも思っていたのか?

わたしの両親は昭和一ケタ生まれなので、同年代の友人に比べちょっと年齢が上だ。

いつも、手をつないで散歩していても、
見守ってくれていた眼差しに今は思い当たっても、
・・何か足りない、と不安を感じていたのかもしれない。

(近頃よく言われる)子どもを抱きしめてあげる、とか、ほめてもらった記憶がほとんどない。
目に見えて感じる愛情表現がなかった。

忘れられない苦い記憶。
母親参観日で、「ほんとにおかあさん?うちのおばあちゃんみたい。頭白いねー」
とむじゃきに言っただけのクラスの女の子をおもわず突き飛ばしたこと。

給食のとき、つい口癖になっていた「おさじ」(スプーンのこと)を笑われたこともあったな・・。

ひさしぶりに風邪を引いて寝込んだ。

朝、夫が家を出しなに、ひんやりした手をおでこにあててくれた。
夫が出て行った後、急に思い出した。

熱があるときも、おなかが痛いときも、
「大丈夫。おかあさんが手をあててあげようね」とあてがってくれたふんわりした手の感触。
たったそれだけですっかり安心したものだ。
 おかあさんの手は魔法の手、

きょう、ひさしぶりに迷子になりたかった。


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存在力。 [記憶のトビラ]

大きな声で何を語らなくても、

もう動かない姿を見るだけで胸がいっぱいになるのはどうしてだろう

たしかに存在していた証とはそういうもの

自分のココロの宇宙へ結びつく記憶とはそういうもの

声や表情を一瞬にして鮮やかに生き生きと今に蘇らせる・・

ときに残酷に・・。

時を経て、夢や勇気を思い出す

想像力とはそういうもの

自分が今を生きる


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ALWAYS 昭和 [記憶のトビラ]


ココロが滞っているなと感じるときにも、映画は観る。
できれば、映画館へ足を運び、自分に風を通したい。

今朝は、もうどうしようもないキモチだった。
空を見上げても、ちっとも晴れてこない。
これはダメそうだな・・
そんなわけで(←すごい言い訳)思い立ち、今なら、という平日の朝一番の回へ。

映画の冒頭シーンから、もうココロは揺さぶらっぱなし。
ほとんどの時間、涙でぼやけてよく見えなかったほど。

この映画の時代設定は、昭和33年。
多分、どこにでもあっただろう、東京のあたりまえの風景。
時代の象徴の東京タワーが建設された年。
両親が、新婚時代を送っていた年。

テレビ、冷蔵庫、洗濯機という三種の神器が、
ひとつまたひとつと、はじめて家に来たときのうれしさ、
テレビを見ないときにはそっと布(垂れ幕のような)をかぶせていたこと、
贅沢は敵だと教え込まれたこと、
幼い頃からずっと耳に馴染んでいたことばかり。

原作は、子どもの頃に読んだ西岸良平さんの漫画
その時間の中に、わたしや兄はまだ存在しない。
それでも、なつかしい思いがあふれてくる。

公共の場、列車の中、上野駅、、大勢の人がどれだけ集まっても、
みなぎる勢いに満ち溢れ、どこまでも明るい。
現在、雑踏を歩くときに時折感じるような、
蠢いている暗澹さ、騒々しさと裏腹にある孤独な印象など、かけらもない。

みんながそれぞれ未来に向かって希望を持ち、今を生きているというということはこういうことか・・

みんな、顔が上を向いている。
時代の強さ。
取り巻く空気すべて意気揚々と、どの人も表情が笑顔できらきらしている。
悲惨な戦争の後、自分たちの生活を手に入れ、
日々を、一生懸命に、大切に、ひたむきに生きている人たちの姿、
ただあたりまえの日常の風景が、こんなにもまぶしい。

困っている人があれば、誰かが手を差し出して、引っ張って、助け合って生きていく。

あぁ、人と人がいつか通じ合えることは、なんて気持ちいいんだろう・・
なんてあったかいんだろう・・

この中にわたしも居たいと思った。。

生きていくって、こういうことなんじゃないか、
家族や身近に居る人たちと、笑い合って、助け合って、生を全うできたら・・
そんなしあわせなことはない。

スクリーンの中に、当時の父と母の姿がだぶった。
こんな風に、真剣に叱ってくれる、
こんな風にあたたかい笑顔で見守ってくれる存在、
安心感を与えてもらっていた、何とも言いがたい複雑な感触を、自分の中にみつけた。

小学校三年生のとき、「いつかなりたいもの」に「だれかに必要とされる人」と
書いたことを思い出した。
そのキモチは今もずっと変わらない。

今年は、昭和80年。

どれだけ時代を経ても、けっして変わらないもの、
次の世代へ伝えていきたいこと、わたしの中にもあるはずだ。
いま一度、足場をふみしめて、今日という一日をしっかり生きていけるように。。


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くつみがき。 [記憶のトビラ]

休日になると声がかかった。

「おー・・ぅい・・はじめるぞ~~」

のんびりした、よく通る父の声。

朝食後の、自転車のそうじやメンテナンス、
庭の草むしり、草木の手入れ
その中でも、心に残っているのが父との”くつみがき”の時間。

たっぷりと時間をかけて、ていねいに靴を磨いている父の背中は、
子どものわたしの目には、すっかり見慣れた風景として映っていた。

磨く工程を、ゆっくり時間をかけて、楽しそうに、口笛を吹きながらこなしていく父、
ひと組ずつの靴を、どれほど大切にしているか、よくわかった。
そんな父の姿を見るのが好きで、
休日のくつみがきの時間、ずっと父のそばに座り、手伝った。

土や埃をはらい、いったん簡単に全体にブラシをかける、
靴の素材と色に合ったクリームを塗りこむ、
時間を置いては拭き、また拭き、磨いて、陰干しする。

独特の皮と靴クリームの匂い、
父のよく動く大きな手、
靴と道具のカチャカチャ触れる音、
靴にかかる光と影、
靴がまた息を吹き返したように、ぴかぴかと生まれ変わる瞬間、
なぜだか、切り取られたかのような鮮やかさで、パッパッとその光景が思い出される。

靴を並べて干している時間、父と束の間のおしゃべり。
特別な時間。
いつもはしてくれない話が聞けた。
父が子どもの頃、やはりこんな風に祖父と”くつみがき”を一緒にしたこと、
そんな思い出話。

「足元のお洒落を、きちんとしなさい」
「靴は一日履いたら、二日休めてあげなさい」
そんなことも教わりながら。

 「お前の履いた靴を見たら、ひとめで、一週間どんな顔して、どんなことがあったんだか
  お父さんにはわかるよ」

と父に笑われ、見透かされたようなキモチで、その都度ドキッとした。

靴を色んな角度からながめてごらん、
どちらか偏っていないか、どこが磨り減っているか、
自分がどういう歩き方をしているかわかるだろう。
ぞんざいに足(靴)を引きずってずるずる歩いたり、蹴飛ばしたりしていたらわかるだろう、
ちゃんと、歩いたときの表情がわかるんだよ。

その人の生き方は足元に出る、
ごまかせないからこそ、自分が履いた靴をよく見なさい、
そして、一日歩いたら、一日分の靴の汚れをちゃんと落として、ひとやすみの時間。

結婚し、たまに、夫の脱ぎすてた大きな靴が玄関にごろんと寝転がってるのを見ると、
「なんで上がる時にきちんと向きをそろえておかないんだー!」と、つい怒ってしまう。

そうは言っても、手入れして、休ませて、日陰干しして・・なんてちょこちょこ世話を焼く。

当時、父に言われたときは面倒くさいなぁと、心のどこかで思っていた気がするが、
長い時間かけて身についた靴への思いが少しはあったということだろうか・・。

実家には、祖父(父方)の写真が飾ってある。
わたしが生まれたときには既に他界していた祖父。

明治生まれの祖父は、ハンチング帽を斜にかぶり、ベッコウのまるい縁の眼鏡をかけ、
チェックカシミアのベストを着こなし、見事なモボ(モダンボーイの略)の装い。
こういういでたちを見て、明治生まれの人は粋だな・・と思う。

父は、こういう”おとうさん”に育てられた子どもだった。
”くつみがき”のとき、よく話してくれたわたしの知らない
父と息子の”くつみがき”の時間のやりとり。

写真の祖父も、父も、姿勢はいつもまっすぐと正している。
歩く姿も、きっと見ていてキモチがいいんだろうな・・

寒くなり、つい丸くちぢこまってしまう背中、
はっとして、背中をゆっくりと伸ばしてみた。


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